メイン コンテンツにスキップ

同じ

 

最近海外に新しく友達ができた。
今、海を超えて一緒にものづくりをしている。

木は自然からうまれたもの。
木を使って作るものは、生きていないといけない。
生きていることを表現するために
僕が平面が存在しない人体のような柔らかい形を手で描くから、それを君の手から生みだしてほしい。
だからこの家具の名前は「Hand」としよう。

このやりとりにとても感激した。

世界のどこでも木の家具をデザインするときには、同じ思いがあるんだ。
それがわかれば、また次に海外に行く時はもっと素直に表現できる。

そのときが待ち遠しい。

学びのかたち

 

円のように柔らかく

かたちをを生み出す

見えないかたち。

学びとは、

未知に向かって旅をすること。

今、木に触れて感じること。

僕の学びは、

いつも木の中にある。

 

伝えること

 

ものづくりを伝えるために、
空間から考えることをいつも大切にしている。
ひとつのデザインや制作に没頭すると
どんどん細部に目がいって、世界が狭くなるから。

美しいものとは眼の前に広がる風景すべてで捉えるものだ。

ただこの価値観も伝わらなければ意味がない。

悩み、悩む日々の中ひとつわかったことがある。

作ることと伝えることは、きっと同じ。
伝えるために作る。
作るために伝えるしかないんだ。

この情熱が止まらない限り、
きっといつまでも続けていける。

今僕は、そう思う。

 

 

 

仕事

今日も、手鉋で木を削る。
きっと省いても、誰もわからない。
もう仕上がっているから、時間の無駄だと言われながらも
僕は、それでも手鉋で木を削る。

色々頭で理由を考える。考える。
なぜ?と言われれば答えられるよ。
けれど実は、理由なんてない。

僕の中にある木を削ることが大好きな気持ち。
ただそれだけ。
共感も本当はいらない。

戦友の鉋たち。
彼らと僕は、今日も手鉋で木を削る。

 

個性

僕たちが作る家具が暮らしでどう見えるのが良いのかをよく考える。
暮らしの風景に溶け込むことを目指しながら、自分自身の個性も大切にしたい。
個性とはなんだろうと、必要かと思いながらもその狭間で揺れ動く。

そんなある日、設計士さんに「高橋さんの家具は強い」と指摘されてひどく落ち込んでしまった。
簡素で美しいものを作りたい。優しく静かな佇まいなものを作りたいと思っていて
「強い」という言葉に真逆の印象を感じたからだ。
ただ、一方で美しさとは、野生動物のようなたくましさが必要でないかと思うことがよくある。
その形を成す線に生物を感じる、脈打つ線がなければと思うことがある。
華奢で繊細な美しさでは、生物として弱いと感じるから。
長く生き残るものは、たくましいのだ。

僕が生み出す家具たちは生物を感じるたくましい力強さを放ちながらも
人の暮らしをそっと優しく支える脇役でいてほしい。

そんなデザインを生み出したいと今、思う。

 

トップへ戻る