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あじわう。


家具は、じわじわと味がついてくるもの。
その味を知りたくて古い家具を少しづつ集めている。
集めてみると同じ家具でも使い手によって味は変わりそれがおもしろい。
家具の良いところだと思う。

じゃあ、家具の味がついてくるのはいつから?
1ヶ月?
3ヶ月?
半年?
1年?
5年?

それがわからないのが家具。
答えがないからこそ、楽しめる。

陽にさらされて
手にふれて
ぶつかって

色々な変化がおきるが、木はどんなことも大きく受け止めてくれる。
人が傷と呼ぶものも木からすれば、家具からすれば、なんでもないことだ。

ただただ、受け入れてそこにある。
私は、その姿をとても凛々しいと思うと同時に愛しくなるから、手を入れて直したくなる。

傷がついて直して、傷がついて直して、その繰り返す日々を重ねて
その積み重ねが長ければ、長いほど、私はその姿がより愛おしくなる。

私が作った家具の100年後を私は見ることできないけれど、誰かにはみてほしいと願っている。
そのとききっとこの家具は良いものと心の底から深く味わってもらえるのだろう。
できるだけ多くの人にその味をあじわってもらいたい。

だから、その日のために
今日も今できることに全力をつくす。

組み合わせ

指物家具職人というお仕事は、おもしろい。
けれど、おもしろいと思うのと同じくらい難しい。

なんでもできなければならない職業だから、成長するのにとにかく時間がかかるのだ。
ドラクエ3でいうところの賢者のような職業だと思っている。

木工の技術や知識、経験は、もちろんのこと。
デザインには人間工学の知識や当工房の特性を理解することが必要で
椅子張りをするなら最低限の縫製の知識、その家具が映える空間、インテリアを設計できる知識、
ダイニングセットを作るとしたら、そのテーブルの上に並べられるうつわの相性を把握しておくこととか、
そのうつわにはどんなお料理がのればよいのかとか、、挙げればキリがない。

暮らしの中に家具はあるのだから。
プロとして暮らしのことをお客様に提案できるようにならなければならない。
これは、ダラダラとマイペースに生きてきた私にとって、とんでもないハードルだ。

実際、家具職人として独立して段々そのことに気付き、色々なことを少しづづ磨いてためて、
ようやく私の形というものが少し見えてきたような気がしている。

その成長の過程でも私は、色んな人と組み合わせて家具を作らさせて頂いてきた。
組み合わせることは、自分を殺すことになるのではないかと悩んでいたこともあった。
まわりで活躍する同世代の作家、職人をみると自力で輝いていて眩しい。
自分の個性ってなんなのだろうと。

ただこれは私が捉えている家具という幅の広さを考えると組み合わせることの方が自然なことではないか?
むしろそれが自由自在にできる方が難しいし、形になったときの喜びは得難い気持ちになる。

そうか。組み合わせで作れることが家具職人の1番の魅力であり私自身1番楽しいことだと思うようになった。
それが自覚できた今は、次にどんな職人とお仕事をしたら良いだろう、楽しいかなと

街をあるいていて、ごはんを食べていて、テレビをみていても考えてしまう。

もっといろいろな人と楽しんで、人生を遊びたい。

 

人並み

 

「自分らスタート遅いし、天才でもない、いたって普通な才能しかないのだから
絞って、絞って、最後の一滴まで絞りだして、やりすぎなくらいでようやく人並みなんですよ。」

飛騨高山の学生時代の寮の中、先輩からお聞きしたお話が、なにか挑戦をするときいつも頭をよぎる。
「今、本当の限界までやれたか。」
コロナ渦の中、ようやくできるイベントが当工房にとっても過去最長のイベントになる。
広島三越さんの6階にて、10月から翌年1月までの3ヶ月の期間限定ショップ。
昨年、一昨年と三越さん3週間の展示会をさせて頂いたけれど、今回はさらに大きな挑戦だ。

家具の魅力を伝えるのは、空間から作らなければ。
少しづづ経験を重ねる中で、より視野を広く空間も自分らしい世界観を作ることの大切さを実感してきた。
今回は、期間を3ヶ月も頂き、よし!と今回ももれなく、また新しい空間作りを楽しみたいと自然と思うようになった。

今までは、約1日の作業時間に対して今回は、空間の製作期間に4日も頂くことになった。その瞬間、「漆喰で壁を塗りたい。」と考えていた。
百貨店というある種無機質な空間に自然素材の壁を注入することが自分の家具の魅力をより引き立てると思ったから。
(もっというとフロア全体の空気感をも変えてくれると)

というはいうもののスケジュールはとてもタイト。
大工工事もギリギリの戦いの中、なんとか左官作業の準備ができて
友人の左官職人さんに無理言って、壁を塗ってもらうと予想以上の質感に感激していた。

きっと良い3ヶ月になるそんな嬉しい予感と「やりきったなー」という心地よい疲労感に包まれて初日を迎え
ここでまた良い出会いがたくさん生まれたらいいなと心から思う。

いちまいもん

 

「剥いだもんは、いつか切れるからな。いちまいもんがええ」

(剥いだものとは、天板など、板を作るときに木組みや接着剤で接いだものことを言い、切れるとは、それが剥がれるということ。
いちまいもんとは、その反対の継ぎのない一枚の木の板のこと。)

師が何気なくおっしゃった一言は、今も私の中で深く刻まれている。

近年の接着剤の性能は素晴らしく、10年20年は全く問題ない。
ヴィンテージの家具などの昔の家具ですら70年前の当時の接着が今も生きていることを見かけることがよくある。
接着剤は、昔からかなり優秀なのだ。

なのに接着したものは、いつかきれるから可能な限り使いたくないという師の時間の感覚は、
100年200年のことをさしていて、それが木工の、指物の時間の流れなんだ。
そう理解してから、私はデザインするときに可能なものはできる限り、木が一枚でとれる大きさで寸法を決める。
そうすることで表情が豊かで美しいものができる。またその先、木がどう変化していくのか知りたい。
いつの日か、その表情がどうなるのかを見るのが楽しみになっている。
反面、一枚で作ると木が動いて、割れたり、反ったり、ねじれたりと道具として捉えると不都合なことが多い。

いろいろと思案を重ねて、結局いつも
人が勝手に木を道具にしたんだから、木がそう動きたいなら動いてもらって、また直せばいいじゃないか。
直せることを前提に考えるのが指物師なんだから。
そういう考えにたどり着く。

私は、これからもできるかぎり「いちまいもん」で作りたい。

明日、広島で師の展示会があるらしい。
ご挨拶にいかなきゃ。
また聞いたことのないお話を聞ける気がしてならない。

見立て

 

名前を決めるときは、いつもすごく迷う。
直接的な名前をつけると用途の先入観が生まれ、使い方が縛られるように思うから。
多くの人に使ってほしいと思うほど、自由度の高い名前にした方がよいのでは
と散々迷うけれど、結局いつも私が最初に思ったシンプルな直接的な名前にしている。

私は、こう思って作った。それをどう楽しむかは、自由に楽しんでほしい。
こちらからあれこれ提案してしまうと使い手の思考を停止させてしまう気がしてつまらない。
あ。こう使える!と発見したときの喜びは、誰も知らない発明をした気分で楽しいものだと思うから。
だから、私は素直な名前をつけたい。

そのまま素直に使ってくださるのはとても嬉しい。こういう風に使ってみたらとてもよかった。
という声をお聞きするのもその方の暮らしの一部になっていることが感じられてとても嬉しい。

私が生み出すものは、自由に使えるように余白を残している。
いろいろな使い方で楽しんで頂ければいいなと作りながら、いつも思う。

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